壮大なるillusion

なにが起こっても、「絶対幸せ」でいる法

なにが起こっても、「絶対幸せ」でいる法

 人間には感情がある。そして感情とはインナースペース(意識、心?)という場に発生する波動のようなものである。様々な波動の周波数に、怒り、悲しみ、憂鬱、喜び、快感、幸福などのレッテルを張るのが思考(マインド)というマシーンの仕事である。

よって、その高性能プロセッサーであるマインドが(真実の)ウイルスによって壊れてしまえば、そこにはレッテルが貼られる前の感情(波動)という原体験だけが残る。それが絶対的な幸福だと、著者は言う。

 言ってることは単純明快だが、そもそもその感情と呼ばれる波動は何から発生するのかという点には言及されていないのが残念だ。というよりもこればかりは著者もわかりようもないはずだ。

物理学において(波としての)素粒子がどこから、そしてなぜ発生するのかがわかっていないのと同じく、今の所”カミ”の仕業とするよりほかないのだろう。素粒子は観察者が創造しているとする説まである。量子論の隆盛以降、もはや物理学すら物語性を帯びてきている。いち早く想像し、創造したものがノーベル賞をもらえるらしい(笑)。

何故かわからないがただそこに”ある”もの、それが人間の感情というわけだ。それに勝手に、ポジティブ・ネガティブのレッテルを貼って、幸不幸の間を右往左往するのが人生というわけである。

感情はマインドが作り出すものという見方もできる。例えば、思考がある目標を立て、それが達成されたと思考が判断すれば、幸福という感情が生まれ、達成されなければ不幸という感情が発生するように。正確には思考それ自体が生み出した感情(と思考が呼ぶもの)に幸福だ、不幸だと思考がまた判断するわけだ。

マインドが作り出す壮大なイリュージョンをなめてはいけない。それこそ悟りや神秘体験ですらマインドは作り出すことができる。世に自称ブッダやスピ系女子が氾濫するのはこのためだ。