体がノーと言う前に

心身ともに健康でいるために、いよいよ体を鍛えることにした。10代のころにサッカーをしていたので脂肪がほとんどなく、筋肉と骨だけだったのだが、運動をやめて久しい今になってこの体型が問題になってきた。

脂肪がほとんどないだけに、筋肉が衰え出すと急激な体重の減少と体温の低下を伴ってしまう。こうなると風邪をひきやすく、年に数回は風邪やインフルエンザで寝込んでしまうということが起きてしまっている。まさに体がノーと言ってきたなと言う感じ。

基本的な体はできているのであとは昔の筋肉を体に思い出させるだけで済みそうだが。幸運にも今住んでいるマンションには、ちょっとしたジムも付いている。あとは食生活と筋肉増強のためのプロテインということで、いろいろ考えた結果、少々値が張るが以下に決めた。やはり自分の体を作るものだから品質にはこだわりたい。

 

 

ちなみに私はネットワークビジネスに興味もないし、やるつもりもないが、アムウェイ製品の品質に関しては経験上、ある程度信用している。

そもそもネットワークビジネス自体はよくできたシステムだと思う。これを単なるネズミ講だとしたり顔で喧伝してる人もいるが、そういう人に限って、広告宣伝費に多くを費やすことで品質が低下した市販の製品を何も考えずに(というよりもその広告宣伝に洗脳されて)”買わされて”いたりするものだ。ま、権利収入に目のくらんだ知人に押し売りされて、この手のビジネスにアレルギーがある人も多いだろうが。

とにかく体もエネルギーの一形態。しっかり動かして、宇宙の仕事にすこしばかり参加しようではないか。

 

愛するがゆえに

「お母さんは(あるいはお父さんは)私がハッピーでいてほしいんだ」と思い込ませることは、多くの子供ーストレスや抑うつを抱え、あるいはからだの病気を持つ大人の予備軍ーに、一生つきまとう抑圧傾向をみにつけさせるいちばんの近道なのである。

身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価

身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価

 

 虐待などは論外だが、切ないのは子供は親から直接的に精神を抑圧されるわけではなく、苦しむ親を見て、自ら進んでそうするというところだ。親を愛するがゆえに子供としての当然の根源的欲求を無視・抑圧し、”良い子”として振る舞うのだ。そしてその演技(抑圧)には相当のエネルギーがいる。それこそ、自分を捨てるくらいのエネルギーだ。子供にそんな大仕事を背負わせて、まともに成長しろというほうが狂気の沙汰ではないか。

 

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 子供を怒るためには、あなたは相当苦しいんでいなければならない。(意訳:あなたが相当苦しんでいないかぎり、(本来無条件に愛すべき)子供に怒りをぶつけることなどできない。)  ーバイロン・ケイティ

 親は子供に怒る前に、自分の苦しみ、そしてその苦しみをもたらしている”考え”、思い込み、観念、信念等をよくよく見つめ直すのが先なのだ。

子供の幸せを思うがゆえに苦しむ親が相当いる。しかし、親自身が幸せでない限り、子供は絶対に幸せにはならないということを断言しておこう。

 

エネルギーは自由を愛す。

 

身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価

身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価

 

 筆者のバイアスを差し引いて読む必要があるが、良書である。

"病は気から"と昔から言われており、人の感情や意識と病に密接な関係があることは我々日本人には半ば本能的に理解できる話である。

 

そもそも、我々の目に見えるあらゆる物質はエネルギーの一形態であるということは、アインシュタインが発見した史上最も美しい等式、

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が示す通りである。

そして、どうやらエネルギーというものは一定の場所に止まることを嫌うようだ。エントロピーの法則が示すように、エネルギーも秩序から無秩序へ常に自由に動きたがる性質があるようだ。

その自由に動くエネルギーの描く芸術作品が我々が今生きている宇宙、銀河系、太陽系、そして地球なのかもしれない。

私は物理学者ではないので、エネルギーがなぜそのような性質を持つのかはわからない。どうやら重力とダークマターダークエネルギーの謎がその答えのキーらしいが。

今のところ、私が言えるのは、それが宇宙(神、現実など、呼び方はなんでも良い。)の意思だということぐらいだ。

見方によれば、人間のこれまでの営みは、この宇宙の法則に抗おうという果てしない試みだったのかもしれない。絶対に止まることがないエネルギーを、永遠に留めておこうとする努力の連続。それらが生み出す(一時的な)成功と挫折の物語が人間の歴史と言えるのかもしれない。

さて、筆者は抑圧された感情が多発生硬化症などの病気の原因であると言う。

つまり、人間は意識的に、あるいは(多くの場合)無意識的に精神(=エネルギー)を抑圧することができるようだ。ただし、これもまた一時的な試みにすぎず、それでも自由に動きたがるエネルギーは(軽、重の)病という目に見える形で「もっと自由にさせろ!」とシグナルを送ってくる。

それでも、抑圧が解消されない場合、エネルギーは体という形の崩壊つまり我々が”死”と呼んでいるものの形態でもって自由になろうとするのではないか。日本人に癌や脳卒中心筋梗塞などによる死亡率が高いのは、それだけ精神を抑圧しながら生きている人が多いということかもしれない。忍耐や我慢(という名の抑圧)を美徳とする日本ならそれも納得がゆく。

投資という観点でも、お金がエネルギーの一形態であるとすれば、お金を貯めることばかり考えていてもダメな理由がこれで理解できるはずだ。