エゴという構造体

  構造体(ストラクチュア)とは、バラバラに分解するのをさけている、複数の生命体の間の関係であると定義します。自分は人間だと思っているあなた自身、構造体であり、何十億という生命体の集まった組織なのです。

構造体のおもしろいところは、成功しても失敗しても、分解してしまうというところです。だから、構造体のままでいたければ、お互いの間に緊張関係、つまり何か問題を維持していなければなりません。

(中略)

エゴとは、意識の構造体であり、それ自身、危険にさらされている緊張感があると、気分よく感じるものなのです。ネガティブな試練にあっていると、私達は高揚した気分になり、エネルギッシュになります。一生懸命働いたり、きびしい修行をしたり、スカイダイビング、自動車レース、戦争、病気、断食、禁欲、ギャンブル、薬、不注意運転、議論、偏執狂、悪魔や黒魔術、等々、ネガティブな行為はいくらでもあります。

(中略)

私達人間は、生物の中で唯一、自分で自分の最悪の敵になることによって、ネガティブな緊張を保ってきました。そして、いわゆる”人間のさが”なるものを完全に克服できずに、今も相変わらず、旧態依然とした同じゲームを続けています。かげろうみたいな人生の問題にあれこれ文句をいって、私達はちゃんと楽しんでいるのです。新聞が売れるのも、そのためです。

なまけ者のさとり方 PHP文庫

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人間の体だけでなく、すべての物質的構造体は、常にエントロピーの増大という”危機”に直面している。エントロピーについての詳しい説明はここでは省略するとして、大事なのは物理法則として、エントロピーは必ず増大の方向に進むということである。

身近なイメージとしては、お風呂のお湯を思い浮かべると良い。冷たい水に熱湯を少々注ぐと、その熱は冷たい水全体に拡散していき、やがてぬるま湯という平衡状態に落ち着くだろう。しかし、その風呂釜のぬるま湯もやがてさらに冷えていく。風呂釜や空気中に熱がさらに拡散していくためだ。

これが、宇宙の熱的死(ビッグフリーズ)予想の根拠となっている。この予想によると、宇宙はやがてエントロピーが極限まで増大し、絶対零度の死の世界となるらしい。個人的にはこの説は支持しないが。

ともあれ、人体という構造体も素粒子の活発な動きによって熱を発し、その熱によって生命を維持している。がこの人体もエントロピーの増大則を逃れているわけではない。放っておけばその熱はやがて拡散していき、生命維持が不可能な状態へと至る。

だからこそ、人間(や他の生物)はせっせと他の生命(=熱)を体内に取り込むことで、エントロピーの増大に抵抗しているわけである。これは人体におけるあらゆる細胞、原子、分子レベルでも然りである。これらのレベルで人体は常に総入れ替えを行い、新陳代謝を行うことで、その構造体を維持しているのである。

よって、形ある生命は決して静的で確固とした物体ではなく、どちらかというと竜巻のように、常にフル回転することで辛うじて存在が確認されている程度のものなのだ。

詳しくは下記参照。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

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 これを踏まえると、上記著者のエゴについての比喩がわかりやすくなる。

 ここで、エゴを宗教的、非宗教的なあらゆる信念や考え(Belieaf)と定義しよう。そうするとエゴとの付き合い方が自ずと見えて来るはずだ。

つまり、肉体との健康的な付き合い方と同じ方法をエゴとの付き合いでも考えればいいということになる。

昔から賢者と呼ばれる人々は悟りの条件としてエゴの消滅を訴えてきたが、その方法はまちまちで、一歩間違えると行きすぎた苦行や戒律による抑圧に走りかねない。

肉体をいくら否定し、痛めつけても悟りに至らないのは、あくまで、エゴも肉体も同じエネルギーの構造体という共通項を持つだけであって、それらが必ずしもイコールではないからだ。

さてこの構造体としてのエゴ(Belieaf)だが、それを即座に無くすことができればベストなのだろうが、まずは我々のような普通の人間がまずやれることを考えるなら、それを可能な限り”健康的”な状態に保ちつつ上手に付き合うということだろう。

人体が形を維持するために適度な外的ストレスや食事などを必要とするようにエゴにもそれらが必要となる。

エゴにとってのストレスや食事とはなんだろうか。少し長くなったので、次回書き留めておこう。