バードマン&セッションを観る

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 映画を2本鑑賞。アカデミー賞受賞作品についてはいつも3割引で期待せず鑑賞するようにしている。3割ぐらいは内容よりもハリウッド特有の政治が影響すると思っているためだ。

しかし、今回の2作品は個人的にはお薦めする。賛否や内容の詳細についてはネット上のユーザレビューを見てもらえばわかるので、ここでは割愛。

まずは前者のバードマン。おそらく見る人にとっては主なテーマが掴めず、混乱と苛立ちでもって映画館を後にし、ネットで罵詈雑言を浴びせることになるかもしれない。その気持ちもわからなくはない。

だが、作者の手当たり次第の風刺や皮肉は痛快なまでに全カット(カット割りはほとんどないのがこの映画の特徴だが。)に散りばめられており、少しも飽きる事はなかった。最後のシーンなどはおそらくお金を払って見に来てくれている観客すらも愚弄し、風刺の対象としている節がある(こういう大逆転ものが好きなんでしょ、じゃ付けておきますね、と。)。だが、そこまで徹底しているが故に、後味は壮快であり、却って最も重要な主題が自ずと浮かび上がってくる、という感じの作品だと思う。

ハリウッドやブロードウェイなどで繰り広げられる人間模様は、まさに人の”愛されたい”、”認められたい”とする欠乏欲求の象徴なのかもしれない。多かれ少なかれ、満たされ得ぬ欠乏欲求はやがて、人を滑稽なほどの奇行に走らせる。

だがそれらの奇行をマスメディアを通して求め、楽しむ大衆もまた、Facebooktwitter等で、愛され、認められようとlikeやfollower数を稼ぐのに人生の大半を費やしているではないか。

社会もまた半ば強迫的に人々に、”愛されるに値する何者か”であることを求めてやまない。また、社会全体が、そこに存在するすべての人にレッテルを張り、ジャッジメントせずにはいられない。レッテルなしに、あるがままを観ることなど到底できるはずもない。何者でもない人畜無害なものにすら、例えば”ニート”などという肩書き(レッテル)を張らずにはおれないのだ。これはもう社会全体が強迫神経症としか言いようがない。

そんな所に”愛”が存在し得ようか。実はそういうところから離れて初めて”愛”が現れるのではないか。

大体、以上のようなことを個人的に感じとった次第だ。話題となっているカメラワークなどは作者側のお遊び程度と考えてよいほど、内容のほうで楽しめた。

少々長くなってしまったので、セッションのほうはとにかく映画館で見てみることをおススメする。ジャズや音楽はこうあるべき、スパルタは時代遅れといった蘊蓄や知識は一旦脇においといて、ストーリー展開とその見せ方を純粋に楽しむと良いと思う。単純に最後のシーンは実に壮快で圧倒された。