What you want is what you get, but do you understand what you really want?

人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

 大人気のパスカルを引用しつつ議論が進められる。

なかなか痛快な皮肉だが、我々現代人にとってはそう笑ってもいられないかもしれない。

私なりにまとめてみよう。

我々が、何かを求めて外に出る時、通常その何かが欲望の原因と考えるだろう。たとえば、ゴルフやテニスなどの趣味、ショッピングなどの気晴らしもそうだ。しかし実はそうではなく、それらは単に欲望の対象であり、本当の原因は部屋でじっとしていられない、つまり退屈に耐えられないことだと言っているのである。

パスカルは、これをうさぎ狩りに出かける人の例を用いている。うさぎ狩りに出かける人は、うさぎが欲しいのではなく、退屈を紛らわすものを求めているのである。現にうさぎ狩りに出かける人にうさぎを与えてもなんの意味もないだろう。さらに、退屈を紛らわせるにはその行為が困難であればあるほど良い。うさぎが簡単に狩れるのでは退屈からは逃れられない。

もっと言えば、退屈が原因で、それを紛らわすことが目的だとするならば、別にうさぎ狩りである必要もない。その人にとって退屈を紛らわす事ができると思えるものであれば、ゴルフであろうとテニスであろうと、またパチンコや競馬などのギャンブルであろうとなんでも良いことになる。

つまり、人が求めているのは退屈を忘れさせるような”興奮”なのであって、決して幸福や平和や快楽などではないと言うのである。もっと言えば、退屈という得体の知れない苦痛に比べれば、退屈を紛らわせてくれる苦痛のほうがよっぽどましであるため、わざわざお金を払い、事故等のリスクを負ってまで、貴重な休日をさまざまな活動に費やすのである。

このように自身の欲望の原因と対象すら理解せずに、平日は会社組織に時間と労力を搾取され、休日は休日で余暇産業に時間とお金を搾取され行く人々への痛烈な皮肉が上記引用部分だ。

さすがに少々穿った見方だと思うが、確かに自身が本当に欲しているものを理解しないが為に不幸を感じているケースは多い。例えば、投資において、無謀なやり方を続けて資金を減らして悩んでいる人が多いが、こういう人は表向きでは儲けたいと言いながら、実は単にお金をリスクにさらすことによる”スリル”を求めているだけだったという場合が多い。この意味において、確かにその人はお金を失ってはいたが、欲しいもの(スリル)は手にしているのである。

退屈から逃れるために”興奮”を求める人も同じである。そのような人がその逃避行為から幸福を得るか、不幸を感じるかは当の本人には関係ないのである。なぜなら、その人は既に欲しいもの(退屈しのぎの興奮)を得ているのだから。しかし、本人はそれに気付いていないため、なぜ私にはこんな不幸が降り掛かるのか、と嘆いてるのである。そういう人をパスカルは愚か者だと言っているのである。

スピリチュアリズムではないが、基本は、What you want is what you get(欲するものが与えられる).という法則はあながち間違いではなさそうである。ただし、与える側の”宇宙”はネガティブ/ポジティブ、幸不幸と言った人間が勝手に決めた基準を持たないため、本当に自身が欲しているものを理解していないと、厄介な事態を招きかねないので要注意だろう。

しかし、なぜ人間はこんなにも暇や退屈を恐れるのだろうか。この問いに人間の根源的な”病”を理解するためのヒントがありそうだ。