不幸の手紙

ところが、脳内の「分析的システム」が発達しているヒトにとっては、何の問題もありません。すぐに「不幸のメール」には何の根拠もないことに気付いて、何の恐怖も不安もなく、即座に「ジャンク・メール」に分類して削除するでしょう。

 要するに、個体を優先する「分析的システム」が、遺伝子を優先する「自律的システム」の命令に逆らうことができるかどうかによって、具体的な対応が異なってくるわけです。

感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)

感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)

 シリーズ三冊目。

また私の脳の中で新たな神経ネットワークがつながった。

進化生物学は今後ゆっくり掘り下げようと思う。

有名な生物学者のリチャード・ドーキンス博士によると、生物は遺伝子の複製を第一目的とし、生命自体はその遺伝子の”乗り物”にすぎないとのことだ。

外敵から巣を守る際に自らを爆発させる爆弾アリと言う生物がいるそうだが、そのアリが崇高な自己犠牲の精神を持っている訳ではなく、種の遺伝子のサバイバルを第一とする”利己的な遺伝子”のプログラムに乗っ取ってそうしているからであるとされている。

なるほど、遺伝子の複製を中心に考えれば、人間にも自身が生き残るために利己的な者もいるかと思えば、他人の為に自己を犠牲にする者もいるという事実が納得できる。両者とも遺伝子を守り複製する点ではまったく同じ動機のもとでそうしている可能性があるのだ。

では、なぜ遺伝子はそのような複製を至上命題として活動を続けているのか。ドーキンス博士によると、特に理由はないそうだ。ただ無意味に複製するために複製をしていると。

まったく衝撃的な仮説だ。本書では、遺伝子の無意味な複製プロセスが、「不幸の手紙」に例えられるとしている。

”この手紙を5人に転送しないとあなたは不幸になる”というまっく無意味な内容の手紙が乗数的に自己増殖していくプロセスと遺伝子が増殖していくプロセスが同じということである。おそらく、これが”5人に転送すれば幸福になれる”(布教活動がこれにあたる)というような幸福の手紙でも同じだろう、あるいは”これを5人に転送すれば1000円差し上げます”(ネットワークビジネスはこれに近い)でもいいだろう。

確かに、人類は不幸の手紙を受け取った者のように、言い知れぬ死への恐怖や何らかの欲望をエンジンに、脅迫的なサバイバルを続けているようにも見える。

当然、一定の知性を持ったものであれば、そのような不幸の手紙を受け取っても、馬鹿馬鹿しいと言って破り捨てておしまいである。

ということは、人類が知性を持ったということは、この馬鹿げた遺伝子複製ゲームを認識し、そのプログラムを終わらせることにある、とでも言うのだろうか。

私は今のところ、人類史上最高の知性の持ち主は釈迦だと考えているが、常々疑問だったのが、皆が釈迦の教えを完璧に実践したら人類が滅びないか?ということだった。恐怖や欲望なしに人類の繁栄があり得るのかという問題だ。

たとえ、今の地球上の生物を根絶やしにしたところで、この無意味なゲームは他の惑星でも繰り広げられるだろう。よって安易に終末論に加担するわけには行かない。

ただより現実的な未来として、人類が遺伝子を運ぶための単なる乗り物としての役割になんらかの形で終止符を打つということは想像できる。

例えば、脳という機能とそれを繋ぐネットワークのみとなって、完全なる情報という形で宇宙空間に偏在するようになるという考えは、今の科学が向かっている方向を見れば、あながち非現実ではないだろう。