自由と幸福

党は利己的な目的で権力を追求しているのではなく、大多数の利益のためである。党が権力を追求するのは、人間が全体として意志薄弱で臆病な生物であって、自由に耐えることも真実と向かい合うこともできないから、自分よりも強い他者によって支配され、組織的に瞞着されなければならないためである。人類は自由と幸福という二つの選択肢を持っているが、その大多数にとっては幸福の方が望ましい。党は弱者にとって永遠の守護者であり、他者の幸福のために自らの幸福を犠牲にしてまで、善を招き寄せようと悪を行う献身的な集団なのだ。

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最初に認識すべきは、権力が集団を前提とするとうということだ。個人が個人であることを止めたとき、はじめて権力を持つ。<自由は隷従なり>という党のスローガンを知っているだろう。この逆も言えると考えたことはないかね?つまり、隷従は自由なり、ということだ。一人でいる-自由でいる、このとき人は必ず打ち負かされる。それも必然というべきだろう、人は死ぬ運命にあり、死はあらゆる敗北のなかで最高の敗北だからね。しかし、もし完全な無条件の服従が出来れば、自分のアイデンティティを脱却することが出来れば、自分が党になるまでに党に没入できれば、その人物は全能で不滅の存在となる。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 ブラック企業から逃れようと考えている人は今一度自分が何を欲しているかを考えてもいいかもしれない。決して幸福になろうとして、安易に自由を求めてはいけない。