気づきの泉

しばらく思考だけで生きていると、無限の自己とのつながりを失い、途方にくれた感じがするはずです。これは、存在することよりも、いつも行動する状態にいる時に起こりがちです。”存在すること”とは魂で生きることで、ありのままを許容する状態にあります。それは、判断をせずに、自分自身でいることを意味します。”存在すること”は、何もしないということではありません。むしろ、自分の感情に従って行動するということで、今この瞬間にいるのです。一方、”行動すること” は未来志向で、現在の感情がどうあれ、特定の結果を達成するために、思考が一連の仕事を生み出します。

自分の行いが、”存在すること”によるものか、それとも”行動すること”によるものかを知るには、日々の決断の背後にある感情をみればよいと、私はわかりました。それは恐れですか、それとも情熱ですか?もし毎日の行為が、人生に対する情熱や意欲から生まれているなら、”存在する”状態にいます。でも、もし恐れによって行動しているなら、”行動する”状態にあります。

喜びから人生を生きる! ― 臨死体験が教えてくれたこと

喜びから人生を生きる! ― 臨死体験が教えてくれたこと

 

驚いた。私が数十年の人生で気づいてきたこと、いやそれ以上のことがさらっと書かれている。

それもそのはずだ。この平凡に見えるインド系のおばちゃんは、かつて末期癌になり、意識を失ったところで臨死体験をし、その後末期癌を完治させるという奇跡のような体験をしているのだ。つまり、あの世(悟りの世界)を見てきたというのだ。

例えるなら、私の気づきは、誰も立ち入ることができない美しい泉から少しずつ漏れ出す水を何年もかけて入念に調べ、おそらくあの泉は90%の確率でこんな感じだろうと悟った程度だとする。

彼女はなんと実際にその禁断の泉に立ち入って、半日泳いできましたよと、そしてそこは最高でしたよー、とさらっと言っているようなものだ。 

いやーずるい(笑)。しかし、だからと言って彼女のような壮絶な経験をしたいとは思えない。

気づきのペースも人それぞれなのだ。決して人と比べるものではない。

この本(いや他のどの本でも)を読んだからと言って、自身の気づきが深まるわけでもないし、深まったような気分になるのは逆に本当の気づきから遠ざかる。

しかし、自身の中(美しい泉)をもっとよく調べてみようという気にさせられる。

それが大事だ。