エネルギーは自由を愛す。
- 作者: ガボールマテ,Gabor Mat´e,伊藤はるみ
- 出版社/メーカー: 日本教文社
- 発売日: 2005/09
- メディア: 単行本
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筆者のバイアスを差し引いて読む必要があるが、良書である。
"病は気から"と昔から言われており、人の感情や意識と病に密接な関係があることは我々日本人には半ば本能的に理解できる話である。
そもそも、我々の目に見えるあらゆる物質はエネルギーの一形態であるということは、アインシュタインが発見した史上最も美しい等式、
が示す通りである。
そして、どうやらエネルギーというものは一定の場所に止まることを嫌うようだ。エントロピーの法則が示すように、エネルギーも秩序から無秩序へ常に自由に動きたがる性質があるようだ。
その自由に動くエネルギーの描く芸術作品が我々が今生きている宇宙、銀河系、太陽系、そして地球なのかもしれない。
私は物理学者ではないので、エネルギーがなぜそのような性質を持つのかはわからない。どうやら重力とダークマターとダークエネルギーの謎がその答えのキーらしいが。
今のところ、私が言えるのは、それが宇宙(神、現実など、呼び方はなんでも良い。)の意思だということぐらいだ。
見方によれば、人間のこれまでの営みは、この宇宙の法則に抗おうという果てしない試みだったのかもしれない。絶対に止まることがないエネルギーを、永遠に留めておこうとする努力の連続。それらが生み出す(一時的な)成功と挫折の物語が人間の歴史と言えるのかもしれない。
さて、筆者は抑圧された感情が多発生硬化症などの病気の原因であると言う。
つまり、人間は意識的に、あるいは(多くの場合)無意識的に精神(=エネルギー)を抑圧することができるようだ。ただし、これもまた一時的な試みにすぎず、それでも自由に動きたがるエネルギーは(軽、重の)病という目に見える形で「もっと自由にさせろ!」とシグナルを送ってくる。
それでも、抑圧が解消されない場合、エネルギーは体という形の崩壊つまり我々が”死”と呼んでいるものの形態でもって自由になろうとするのではないか。日本人に癌や脳卒中、心筋梗塞などによる死亡率が高いのは、それだけ精神を抑圧しながら生きている人が多いということかもしれない。忍耐や我慢(という名の抑圧)を美徳とする日本ならそれも納得がゆく。
投資という観点でも、お金がエネルギーの一形態であるとすれば、お金を貯めることばかり考えていてもダメな理由がこれで理解できるはずだ。