人生を思い通りにコントロールするための7つの法則

コンピューティングの観点から、しかも電磁的相互作用だけを考えれば、一キログラムの岩の内部では、一ビットあたり毎秒10の15乗の状態の変化が起きていて、事実上、毎秒10の42乗回(100万×一兆×一兆×一兆)の計算をしていることになる。それでいて、岩はなんらエネルギーの入力を必要とせず、感知されるほどの熱も発生しない。

ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき

ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき

我々は物心付いた頃より、己の頭で考え、行動することで、環境や人生そのものをコントロールし、 支配し、改善していくよう教育(洗脳またはプログラム)されている。恐怖を最大のエンジンとし、過去を分析し、未来をシミュレーションし、己と環境の問題点をいち早く発見し、改善せよという教育である。

おそらく5歳頃までに身につけたこのような古びた思考プロセスや信念をロボットのように何度も何度も繰り返すのが人生の実相かもしれない。

人間は社会生活等において、新しい情報(経験)を通して日々変化し、成長していると思い込んでいるが、実際には思考のほとんどは前日と同じプロセスの繰り返しであることが脳科学で証明されている。

つまり、新しい経験をしているのではなく、同じ思考プロセスというフィルターを通して実際は全く異なる事象を、これまでと同じように解釈し、同じような結論を導いているだけということである。

さて、結論から言おう。

人生に問題など一切ない。そして人生や環境をコントロールしようと努力する必要は全くない。

なぜなら、人生がすべてうまくいくように取り計らってくれるからだ。

問題があるのではなく、問題を自ら創り出した上で、それを変えなければならないと信じている思考と行動があるだけだ。それは、まるで午前中に自ら穴を掘り、午後にそれを埋めるという作業を永遠と繰り返しているようなものだ(これは実際アウシュビッツ収容所で課された作業でもある。考えただけでも気が狂いそうではないか。)。人生に暇がないのに退屈を感じるのも無理はない。

今回の引用は、ほんの一キログラムの小石ですら凄まじいほどの計算量で成り立っているという例だ。我々が日々生活している身の回りのすべての物質、あるいは宇宙全体の計算量はどのくらいか。実質無限といってよいほどの計算量である。

そのような人知では計り知れないほどの計算量の中で生きている一人の人間の小さな脳みそ(の左半分)をよりどころとして、苦労して、苦労して、苦労し抜いて頑張って生きろ、というのが社会が我々に毎日毎日刷り込もうとしているマントラである。

そろそろそのようなカルト教団もびっくりするような教義からは離れてみても良いではないか。

そうは言っても、書店などでは、努力によって人生をコントロールすることに成功した成功者の例が山ほどあるじゃないか。と思うかもしれない。

『〜の成功法』、『〜ための7つの法則』等の自己啓発本が代表だ。

しかし、それらは単に本人が後知恵でこじつけたものであることを言っておく。たまたま自分の言動なりが、意図する方向に環境が動いたのを良い事に、因果関係を勝手に作り上げて本を売って商売しているのだろう。おそらくそのような人にも人生においてある一面ではまったくコントロール出来ていないものがあるはずだ。(例えば、ビジネスで成功したが、家庭が破綻しているなど。)

もし私が、『市場の日々の値動きを私がコントロールしてお金を稼いでいる』と言ったら、おそらく誰もが狂気の沙汰だと思うだろう。矛盾するようではあるが、相場で勝てる人ほど、日々の値動きや結果(損益)をコントロールすることは不可能であるということを十分認識している。人生も相場も同じである。

あくせく努力して鬱になったり、病気になったり、相場で大損したり、子供が非行に走ったり等々、人々が不幸(out of control)を感じるような人生の出来事が教えようとしているのはたった一つ、人生をコントロールする必要はないよということである。

そして、人生がすべての人に平等にこの事実を教える瞬間、それが死である。少し踏み込んで言えば、自殺という行為は、人生を諦めた結果ではなく、実は人生のコントロールを最後まで手放すことができず、絶対にコントロールできない死を敢えて自らコントロールしようと試みる、思考の最後の手段なのかもしれない。

しかし、私は何も人生を諦めて虚無的に生きれば良いと言っているのでも、安易に宿命論に傾くべきだと言っているのでもない。

これまた矛盾するようだが、人生を支配することから離れた瞬間、無限の可能性が開かれ(所謂zero point field)、不思議とすべてが思い通り(in  control)になるのである。これについてはまた別の機会に書き留めたい。