特異点(シンギュラリティ)

特異点とは、われわれの生物と存在が、みずからの作り出したテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的ではあっても生物としての基盤を超越している。 特異点以降の世界では、人間と機械、物理的な現実とヴァーチャル・リアリティとの間には、区別が存在しない。

ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき

ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき

 今になってようやく特異点(シンギュラリティ)という言葉がテレビなどでも発信されるようになった。

本書は天才発明家・起業家であるレイ・カーツワイルによる、特異点についての考察をまとめたものだ。辞書並みに分厚い(天才の肥大化した思考が分厚さによく表れている。)ので購入前に立ち読みしたほうが良いかもしれない。

コンピューターが人類の知性と完全に融合する、あるいはそれを超える。今や、それが起こり得るかどうかの問題ではなく、いつ起こるかの問題となっている。多くの人がそれに気付かないのは、テクノロジーの進化のスピードを線形的に捉えているからである。

しかし、それを指数関数的な成長と捉えれば、必ずどこかのタイミングで、誰も想像することができないほどの爆発的な進歩が始まる。その臨界点が特異点(シンギュラリティ)であり、もしかすると我々は今その特異点上を生きているのかもしれない。

特異点以降の世界では、人間(あるいは非人間)の知性が時空を簡単に超えて、宇宙全体に蔓延し、何もかもを思い通りに動かし、創り変えることができる。現実とヴァーチャルの境界線が意味をなさなくなり、自由に好きな時に好きな経験を永遠に行うことができる、まさに神の世界だ。

そのような世界はSFや夢物語だろうか。本書を読んで考えてみるのも一興だろう。

もし、そのような特異点以降の世界が可能であるとするならば、一つの可能性について思い当たるはずだ。

それは、我々が今生きている世界そのものが、実は既に特異点以降に作られたヴァーチャルな世界である可能性はないか、ということだ。そして、我々が神(創造主)と呼ぶものが、実は我々より先に特異点を超えたなんらかの知性であり、それが創り出した幻想としての世界を我々は経験しているのではないか。

恐らくこの辺の発想から、映画『マトリックス』が生まれ、また引き寄せの法則等に始まる諸々の自己啓発的思想が生まれたのではないか。

さて、ヘッジファンドも来週あたりからクリスマス休暇に入るし、私ももう12月はゆったりくつろごうと思うので、この分厚い本を楽しむこととしよう。

 

 

 

 

 

ザ・シークレット

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