やられたらやりかえす

アクセルロッドのプログラムは、われわれが本書を通じて、動物、植物、そしてじつは遺伝子について考えて来たやり方にとって、一つのみごとなモデルである。したがって、彼の楽観的な結論(妬み深くなく、寛容で、気のいい戦略の勝利)が、自然界にも適用できるかどうかと問うのは自然なことである。答えはイエスで、当然そうなるのである。唯一の条件は、自然がときどき「囚人のジレンマ」ゲームを設定しなければならないこと、未来の影が長くなければならないこと、そしてそのゲームがノンゼロサム・ゲームでなければならないことである。このような条件は、生物界のいたるところで確実に満たされている。

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 12章はゲーム理論囚人のジレンマについての生物学的説明である。この章を読むだけでも十分勉強になるだろう。

ここでは、それらの説明は省略する。

結論だけ言おう。「囚人のジレンマ」ゲームが設定されているような環境においては、胴元に対して、各プレイヤーが「協力」することが、もっとも合理的かつ高得点を産み出せる戦略である。

ここで言う、胴元とは資源配分者であり、それはゲームが設定されている環境に依存する。つまり地球を舞台にした人類のサバイバルゲームにおける胴元は自然である。資本主義経済における胴元は、資本の提供者つまり中央銀行(さらにはBIS)、より狭い定義では資本家となろう。学校においては教師(成績の配分者)、会社においては株主、家族においては親である。

何れの単位においても「囚人のジレンマ」が成り立つところにおいては、各プレーヤーは協力することで、プレーヤー全体の利益を最大化できることが引用にあるアクセルロッドのプログラムで証明されている。そしてシステム的に最も安定となる各プレーヤーの戦略は「やられたらやりかえす」である(半沢直樹のように倍返しだ!とまでは言わなくてよい)。「やられたらやりかえす」戦略とは、最初は無条件に協力し、次からは相手の出方(背信or協力)をひたすら真似るというものだ。

胴元に対して、各プレーヤーが協力することで、プレーヤー全体の利益を最大化できるということは、裏を返せばそれが胴元にとっての一番の損失となる。つまり、各プレーヤーがお互いに競い合い、背信してくれたほうが胴元にとってはベストということだ。

世の中を見渡すと、どうもこれを理解していないプレーヤーが多そうだ。学校では生徒が優劣を競い合い、会社では社員が出世競争のラットレースで争い合う、資本主義社会では各会社が競合他社と熾烈な競争を行っている。親の遺産を巡って争い合う相続人たちもそう(この場合得をしているのは弁護士)。それらの競争によって、一体誰が得をしているのか認識しているのだろうか。

ま、おそらく胴元が各プレーヤーに競争することが美徳であるという洗脳を巧妙に施しているからというのもあるだろう。今まさに行われているW杯でもそうではないか。勝者の歓喜と敗者の屈辱というゼロサムゲームの影で一番儲けているのはFIFAのお偉いさんたちじゃないか。

協力することが重要なのは、単なる人道的、倫理的、または宗教的な問題ではないのである。論理的にそうすることがプレーヤーにとってベストの戦略であるというだけの話なのである。

卑近な例で申し訳ないが、映画『風邪の谷のナウシカ』のナウシカがなぜ偉大なのかがよくわかるだろう。人間と腐海との無意味なゼロサムゲームをやめさせるため、自らの命を投げ出したのだから。

もし自身が何らの単位でのプレーヤーの立場なら、いち早く競い合うのを止めて、自分たちにとって何が胴元かを認識した上で協力し合うことだ。

 

 

半沢直樹 -ディレクターズカット版- DVD-BOX

半沢直樹 -ディレクターズカット版- DVD-BOX

 

 

 

風の谷のナウシカ [DVD]