ミーム

別種の自己複製子と、その必然的産物である別種の進化を見つけるためには、はるか遠方の世界へ出かける必要があるのだろうか。私の考えるところでは、新種の自己複製子が最近まさにこの惑星上に登場しているのである。私たちはそれと現に鼻をつき合わせているのだ。それはまだ未発達な状態にあり、依然としてその原始スープの中に無器用に漂っている。しかしすでにそれはかなりの速度で進化的変化を達成しており、遺伝子という古参の自己複製子ははるか後方に遅れてあえいでいるありさまである。

新登場のスープは、人間の文化というスープである。新登場の自己複製子にも名前が必要だ。文化伝達の単位、あるいは模倣の単位という概念を伝える名詞である。 模倣に相当するギリシャ語の語根をとれば<mimeme>ということになるが、私のほしいのは<ジーン(遺伝子)>ということばと発音の似ている単音節の単語だ。そこで、このギリシャ語の語根を<ミーム(meme)>と縮めてしまうことにする。

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旋律や、概念、キャッチフレーズ、衣服のファッション、壷の作り方、あるいはアーチの建造法などはいずれもミームの例である。遺伝子が遺伝子プール内で繁殖するにさいして、精子卵子を担体として体から体へと飛びまわると同様に、ミームミームプール内で繁殖するさいには、広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介として、脳から脳へと渡り歩くのである。

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 本編が500ページ程の大作だが、300ページ手前の10章までは、期待が大きかった分、こんなものかなと思っていたが、11章になってようやく本領発揮と言った感じだ。

全体的には、敢えて数学的な概念を数式を使わずに説明している分、分かりやすくもあるが、より正確に理解するため、ロジックを再度数学的に置き換えて読む必要のある箇所が散在するので、少し読むのに時間がかかるかもしれない。あとは翻訳によってさらに読みづらくなってしまっているということも多少あるだろう。

しかし、期待どおりの良書であることには100%保証できる。

さて、人間の脳からなるネットワークを経由して、複製していく概念を著者は遺伝子に取って代わり得る新たな自己複製子(ミーム)だとしている。そういう意味では、宗教や政治的な信条、プロパガンダ、アイデア、音楽や物語などがすべてそれにあたる。

人類は高度な知性でもって文化を生み出し、様々な形で遺伝子的プログラムへの隷属からの解放や逃走を目論んできた。たとえば教会の禁欲主義的戒律などがその一例だ。ところが、著者にしてみれば、遺伝子からの自由を実現するための手段であるその概念こそが、新種の自己複製子なのだと言っているのだ。そして人類はまたしても、その新たな自己複製子(ミーム)のプログラムの奴隷となり、その無意味な増殖のための乗り物に成り下がっていくのである。

いやーすごい、これには参った。

なぜ自爆テロがなくならないか、宗教が未だに必要とされるのか、音楽やアイデアが流行するのかが理解できる。先日紹介したマザー・テレサの苦悩も納得がいく。利己的遺伝子に反逆しつつ、教会組織が要求する戒律というミームに隷属することがいかに苦しいことか。

結局人類いやすべての生命個体は、なんらかの自己複製子の単なる運び屋で終わる運命にあるのか。

著者はこう続ける。

 私たちを産み出した利己的遺伝子に反抗し、さらにもし必要なら私たちを教化した利己的ミームにも反抗する力がある。純粋で、私欲のない利他主義は、自然界には安住の地のない、そして世界の全史を通じてかつて存在したためしのないものである。しかし私たちは、それを計画的に育成し、教育する方法を論じることさえできるのだ。われわれは遺伝子機械として組立てられ、ミーム機械として教化されてきた。しかしわれわれには、これらの創造者にはむかう力がある。この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 利己的な遺伝子(DNA)からの自由を説いた人物は数えきれないほどいるが、利己的な複製子(ミーム)からの自由をも説いたのは、私の知る限り、釈迦とクリシュナムルティとこの著者だけだ。

本書を読んで書き留めておきたいことはまだまだある。ありすぎてもう何から書けばいいかわからないほどだ。