利己的な遺伝子

避妊は、しばしば「不自然だ」といって非難される。確かにそのとおり、きわめて不自然にちがいない。ところが困ったことに、不自然なのは福祉国家も同様なのだ。われわれのほとんどは福祉国家をきわめて望ましいと信じていると、私は考えている。しかし、不自然な福祉国家を維持するためには、われわれは、同様に不自然な産児制限を実行しなければならない。そうしなければ、自然状態におけるより、さらにみじめな結果にいたるであろう。福祉国家というものは、これまで動物界にあらわれた利他的システムのうちおそらく最も偉大なものにちがいない。しかしどのような利他的システムも、本来不安定なものである。それは、利用しようとまちかまえる利己的な個体に濫用されるすきをもっているからだ。自分で養える以上の子どもをかかえている人々は、たぶんほとんどの場合無知のゆえにそうしているのであり、彼らが意識的に悪用をはかっているのだと非難するわけにはいかない。ただし、彼らが多数の子を作るよう意図的にけしかけている指導者や強力な組織については、その嫌疑を解くわけにはいかないと私には思われる。

 

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 まず、本書のような進化生物学系の本を読む際の注意点は、ありきたりな道徳や倫理、そして浅はかな思考が作り出す"物語"や信念を一切排除して読むということだ。

複製を至上命題とする遺伝子から見て、より数学的に”あるべき”個体の行動とは何かを考える科学であるということを前提にしないと、間違った読み方をしてしまいかねない。

 

 さて、遺伝子はその進化の過程で、脳を発明した。理由は予測できない危機に対応するための学習機能を個体のプログラムに搭載するためだ。

プログラミングを少しでも経験したことがあるなら誰しも理解できると思うが、プログラムは実行段階において、プログラマー自身は一切介入することができない。それ故に、あらゆる事態に対応出来るよう予め予測を立てて、if文等を作成して行く。しかし、そのような予測には当然限界がある。よって不測の事態にはエラー構文で例外処理を行うか、システムエラーとしてユーザー(つまり人間)に返すほかない。

ここでいうプログラマーは遺伝子の比喩である。では遺伝子にとってのエラーは何を意味するか。それはその遺伝子そのものの消滅(死)を意味する。よって自己複製を至上命題とする遺伝子にとってエラーは許されない。そこで生み出されたのが、自己学習という機能である。これによって、乗り物である個体そのものがあらゆる危機を記憶し、学習することで、柔軟に不測の事態に対応することが可能になったわけだ。これによって予め搭載しておくべきプログラム量も大幅に減らすことも可能になったはずだ。

遺伝子としてはやっと落ち着いてお茶でも飲みながら、自身が作成した乗り物(個体)に乗って自動的に増えて行くのを楽しむことができるようになったと言うわけだ。

ところが、この学習機能には決定的なプログラム上のミスがあったと思われる。それは遺伝子の複製に必要なこと以外は学ばないという一文を入れていなかったことではないだろうか。(というよりも遺伝子の複製に必要なこと、必要でない事を切り分けるプログラムの作成が事実上不可能だったのかもしれない。)

その一文がないがために、脳は進化上不必要なことまで学習し、さらにはプログラマーである遺伝子の”陰謀”までをも丸裸にしようとしている。そして、あろうことか今や単なる複製機であるはずの個体が遺伝子のプログラムに反逆しようとしているのだ。映画『ターミネーター』よろしく、ロボットがその生みの親である人間に反逆し、攻撃を加えてくるという恐ろしいことを我々人間は、我々の生みの親である遺伝子に対して今まさにやろうとしているのだ。

そのほんの一例が、引用にある避妊行為や福祉国家の樹立である。進化生物学上、避妊が善か悪か、福祉国家がより望ましい国家形態かはどうでも良い。それらはどちらも、複製を至上命題とする遺伝子に対する反逆行為であるというだけである。

避妊は文字通り複製を避ける行為であり、福祉国家は遺伝的弱者にも等しく資源の配分を行うことによって、自然淘汰圧を歪めてしまい、長期的には種全体の存続を危機に曝しているのである。