神を信じたほうが得
すなわち、現世に投げ出されている人間は、①神を信じるか、②神を信じないかのどちらかしかありません。そのうえで、実際に③神が存在するか、④神は存在しないかのどちらかが成立します。つまり、論理的な組み合わせとしては、四通りの可能性のどれかが成立するわけです。
まず、あなたが①神を信じるとして、実際に③神が存在する場合、あなたは来世で神に祝福されて天国で無上の幸福を味わうはずですから、問題ありません。次に、あなたが②神を信じないとして、実際に④神が存在しない場合、これもあなたの判断は正しかったわけですから、問題ありません。したがって、人間が思い悩むのは、①神を信じて④神が存在しない場合と、②神を信じないのに③神が存在する場合の二つのケースだということになります。
さて、神が存在しないにもかかわらず神を信じる場合、現世で善行をしても来世で報われないという損失が生じますが、その損失はそれほど大きなものとは思えません。一方、神が存在するにもかかわらず神を信じない場合、来世では天罰が下されて永遠に地獄で暮らさなければならないわけですから、損失は無限大だということになります。したがって、パスカルによれば、確率論的に「神を信じないよりも信じる方が得である」という結論が導かれるわけです。
知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)
- 作者: 高橋昌一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/04/16
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シリーズ2冊目。
有名なパスカルの賭け。非常に合理的だ、パスカルに相場をやらせるとかなり儲けるに違いない。
つまり、神を信じて、実際神が存在しなかった場合の損失は限定的だが、存在した場合の利益は無限大だと。これはまさにデリバティブの一種であるオプション取引そのものだ。 神を信じて、現世で良い行いに励むことはさしずめオプション料(プレミアム)といったところか。
ただし、これはあくまでも個人の選択という前提においてのみ有効である。
悲しいかな、人間は自分が神を信じるだけでは飽き足らず、説得や洗脳または暴力によって他人にも信じさせたがる、最悪の場合は神を信じないものを抹殺しようとする者すら出てくるので、神を信じる事が個人では合理的だったとしても、集団となるとその損害が計り知れないくらい大きくなる場合が多いのだ(特に排他的な一神教に顕著)。
よって、投資が個人の責任で行われかつ風説の流布が違反とされるように、神を信じる信じないも個人の責任に閉じて、他人にその選択を強制すべきではないのかもしれない。