アファメーション ①個人的価値観

個人的な価値観の位置づけが困難になる理由の一つは、私たちの社会的価値体系があまりに歪んでいるからです。たとえば、プロの運動選手や芸能人の報酬について考えてみてください。彼らの社会的貢献の度合いには見合わない法外な報酬が支払われています。

 私にこうだずねる人たちもいます。「でも、ルー、プロのコーチや運動選手と一緒に働くのは、わくわくするだろう?」。

ご冗談でしょう。彼らの中には一緒にいて不愉快になる人もいます。人生にはもっと重要なことがいくらでもあるのに、なぜスポーツでそんなに興奮するのでしょう?

アファメーション

アファメーション

 これがかのルー・タイスのアファメーション。今後もいくつか引用するので①とした。良い自己啓発本を探していて時間とお金を節約したい人はとりあえずこれを読んどけばOK。

通常コーチングといえば、ああせいこうせいと断定的に言ってくるようなイメージがあるかもしれないが、この本からはそのような圧迫感はない。人生の酸いも甘いも噛み分けた仙人が、自身の経験から得たもの(失敗も含む)を諭すように説明していく。苫米地は彼の言っていることが脳機能的にも理にかなっているとしている(だからと言って読者の人生が変わる保証はない)。

引用部分は、私がまさに昔から疑問に思っていたことだ。周囲の人達が、例えば野球でどこどこのファンだと言って、まるで自分のことのようにチームを応援し、優勝を競って一喜一憂する姿をいつも醒めた目で見ていた。そして、ただボールを投げるのが(あるいは打つのが)人よりうまいからといってそんなに偉いか?と常々疑問に思っていた(別にスポーツを否定しているわけではないし、人々に勇気と感動を与えるというちとプロパガンダチックな効用も認めないわけではない。イチローなどスポーツを通して人生の高みに到達する人もいる。松井秀樹のようにスポーツで人としての振る舞いを表現する人もいる。)。チームや選手にヤジを飛ばしたり、差別的横断幕を掲げたり、あるいは乱闘、殺人事件にまで発展するような話に至ってはもう救いようがないといった感じだ。

話が逸れたが、ここで重要なのは、”自身を駆り立てているその価値基準はいったいどこから来たのでしょうか?”、”本当の意味での自身の価値基準に基づいた優先順位を持っていますか?”という疑問を自身に問い直す作業だ。

何処の誰がどんな意図で刷り込んだかも分からない価値基準に従って人生を浪費するようなことがあっては、なんのための人生か分からなくなるし、以前紹介したセネカの言うところの、愛と憎を他人に強制させられた”惨めな忙しい人”で終わってしまう危険性があるということである。