億万長者はわがまま

億万長者たちはある意味では自己中心的でした。自分の目標、価値観、展望をきちんと持っており、他人の価値観によって自分のやり方を変えさせられるようなことに甘んじる人はいませんでした。彼らに対する他人の期待や、他人の要求に彼らがぺこぺこして追従することへの期待にも、まったく動じないのです。言い換えれば、億万長者は物事に取り組むのに、自分自身で原動力をつくり出す人々でした。称賛や好かれる必要性によって原動力を与えられるのではないのです。彼らは、他人の目的に自分を合わせようと試みるのではなく、あくまでも自分の目的を追求するのです。すべての人を満足させようとすることは、つまるところ、誰も満足させないための方法になるのです。とくに自分自身を満足させない結果を招くのです。

ゼロから億万長者になる法―誰にでもある金持ちマインドの育て方

ゼロから億万長者になる法―誰にでもある金持ちマインドの育て方

 

金持ち本シリーズその2。

日本の教育がこれとは真逆のことを行っていることには驚かされる。

学校では、成績において教師の期待、入試という形での志望校からの期待、家庭では両親の期待、就活では会社の期待、会社では上司や組織の期待にいかに応えるかですべてが決まる。まったく考えてみると末恐ろしい限りだ。まっ、そのおかげで”わがまま”な人がより活きるってのも一理だが。

要は、この世の中で生きて行くには2通りあり、1つは、自分を社会環境に適応させること。そしてもう一つは、社会環境を自分に適応させることだ。どっちが良い悪いではなく、好みの問題だ。

私は電車やバスなどには極力乗らない。理由は簡単、それらが時間通りに来たためしがないからだ。日本でこれを言うと、は?日本の電車は(人身事故時以外)数秒の遅れもなくくるじゃないか、と言われるかもしれない。しかし、私が言っているのは、私がホームに着いた、まさにその時に電車が到着していることがないと言っているのだ。

おそらく、9割以上の乗客にとって9割以上の確率で、電車がドンピシャに来る事はないだろう。つまり、電車は9割以上の割合で理不尽な乗り物であり、お前たちは電車の都合に合わせなさいと言われているようなものなのである。

これを、単なる公共性の欠如とか言われてもしょうがないとは思うが、まずは自身が当たり前のように受け入れてしまっている、あなたにとっての世の中の”理不尽”を疑ってみるのも一興だろう。