お金に対する考え方

休暇中の娯楽に手にした一冊。

貧乏になる男は自分のニーズより他人のニーズを優先するように幼いころから教え込まれている。慈愛に満ちた崇高な哲学のようだが、おそらく最悪のアドバイスだ。

自力で財産を築いた金持ちはみな、財をなす課程では自分の利益を優先しなければならない時期があると指摘する。彼らはそれが崇高な考え方ではないことを知っているが、成功するために必要だと確信している。しかし、一定の財産を築くと、考え方をレベルアップして、他人の苦しみを軽減することに意識を向ける。地域社会への恩返しを義務付けられているわけではないが、多くの金持ちは自発的にそれを選ぶ。

金持ちになる男、貧乏になる男

金持ちになる男、貧乏になる男

 この類いの本が売れているということは、日本人が勤勉で労働を美徳とし、お金に無頓着であるという幻想に皆やっと気づき始めたのではないか。そう、日本人のお金への嫌悪は、それへの執着への裏返し、本当はお金が欲しくてしょうがないというのが本音だろう。

何かから自由であるには、そこから逃げるのではなくその何かを徹底的に理解する必要がある。お金から自由であるには、また経済的に自立したいのであれば、お金と経済について勉強し、理解することが先決だ。世の中に富豪の数が少ないのは、そうでない人が教育を担っているというのも1つの要因だろう。

もう一つは、他人の利益を優先するという哲学が一人歩きしている点。日本の経済界で伝説となっている人物(松下幸之助など)の自伝などを読むと必ずこの哲学が登場する。出世欲旺盛なサラリーマンにとってそれらはバイブルとなり、自身に言い聞かせて毎日せっせと会社のため社会のために、と家族との時間を犠牲にしてまで夜通し働いていることだろう。

本書の指摘通り、この哲学が崇高であることに疑いの余地はないし、成功者たちの自伝が嘘ではないことも確かだろう。ただし、そのような自伝は彼らが成功した後に書かれたものであるということに気づいていない人が多い。成功した後だから、社会的責任も増え、社会の要請としてそのような崇高な哲学を語らざるを得ないという場合もあるだろう。

要するにここでも因果関係の読み違いがある。つまり、

崇高な哲学を身につけた→成功した、ではなく

成功した→崇高な哲学を身につけた、である。

彼らだって創業時は一日一日を生き延びるために必死で自己の利益を追いかけた時期があったはずである。それにも関わらず、まだそのような時期を経ていないものが、彼らの成功後の哲学を猿真似したところで、本当の自分を欺瞞という霧に包み隠してしまうだけだろう。

自身が何をしたいのか、何をしたくないのか、しっかり自身を観察することが重要である。したいことが何も見つからないなら、”何もしない”ということを全力で”やってみる”のも一つの手だ。