鬱と止観

この絶望した男の視点、絶望眼が鮮明になると、世のほとんどのものはグレーに見える。もちろんこれはただの鬱の症状である。脳内のエリア25がほとんど機能しなくなるだけだ。そのおかげでほとんどのものに感動しなくなる。人はそれを病気と呼ぶ。でも、おかげで本当にやばいものに会った時、絶望眼がコンピューターのように寸分の狂いもなく、正確に反応する。

死のうと思うこと。絶望すること。実はそれは力だ。ただ、それは何か行動を起こそうとする力ではない。自分が大きな眼になるような力である。つまり、行動ではなく傍観、俯瞰の世界に入れる。

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

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 これは仏教で言うところの『止観』を思わせる。たしか下の書籍にこのような実験結果が載せられていた。ある全くランダムに点滅する光を鬱病の人々と健常な人々に見せたところ、鬱病の人のほとんどはそれがランダムだと答え、健常な人々はそこに何かしらのパターンがあると答えたそうだ。私はこれを知った瞬間に正常と異常の概念が逆転した。そう我々は狂っており、この世界は混乱しているのだと。

投資においてはこれが顕著に現れる。チャートが明らかに下げ相場なのに、必ず戻ると信じて塩づけにし、明らかな上げ相場なのにあっさり利食いをする。パターン認識はトレードにおいて重要だが、それが全てになってしまうと必ずどこかで限界がくるだろう。時には、ポジションをスクエアにして、立ち”止”まって市場の動きを”観”ることも重要だ。

服従の心理 (河出文庫)

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