1984年

自由とは二足す二が四であると言える自由である。その自由が認められるならば、他の自由はすべて後からついてくる。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)


1984 Apple's Macintosh Commercial (HD) - YouTube

 

 前から読もう読もうと思って、読めていなかった一冊。映画『スティーブ・ジョブズ』に出てきたので、やっと思い出して、読み始めたが、さすがに噂どおりの面白さ(ちなみに映画も面白かった)。

おそらく私のブログをご覧いただいている方は、安定、内向き、後ろ向きの日本社会の潮流や閉塞感に真っ向から立ち向かおうとされる、言わば反逆者もしくはその予備軍と思われる。ましてや、投資やトレードなどという”うさんくさい”世界に飛び込もうとされるからにはそれなりの理由があるはずだ。

今や米国フォーブス誌の富豪ランキングには必ずといっていいほど、投資家やヘッジファンドマネージャーが顔を出す(あとは起業家かその家族)。かたや日本では投資やトレードなどと言うと博打やギャンブルと同じ扱いをされることがほとんど。私が米国に住んでいたころ、投資で儲けているなどといえば、相手の目が変わり、ぜひ秘訣を教えてくれ!などとお願いされたものだ。

しかし、それも少しづつ変わってゆくだろう、それが良いか悪かは別にして。ともかく、人が投資の世界に魅力を感じる1つの理由はまさに”自由”にあるのではないか。いくら損をしようが、儲けようが、すべて自己責任である。上司の承認もいらなければ、部下の面倒を見る必要もない。顧客のクレーム処理に追われることもない。すべては自己責任である。その責任さえ背負う覚悟があるなら、破産するのも自由、大金を手にするのも自由なのである。つまり、自由とリスクは切っても切りはすことができないのだ。リスクを取りたくないのであれば、自身の自由を組織なり社会に差し出すほかない。1984年の世界のように。